数十年に渡るゲリラ戦
アメリカがカナダに侵攻した場合、ゲリラ戦が数十年にわたって続き、最終的にはアメリカ自体が壊滅的なダメージを受ける可能性が高いと、トロント大学のアーシャ・アーマッド准教授は指摘しています。彼女は20年以上にわたり世界各地の紛争地を調査しており、侵攻に対する住民の抵抗は歴史的に繰り返されてきたと述べています。特に、トランプ元大統領がカナダとの1908年の国境条約を破棄すると発言し、領土や水資源への野心を示していることは危険な兆候とされています。カナダ人は温厚な国民性だと言われていますが、侵略を受ければ激しく抵抗することは間違いありません。カナダの地形は広大で統治が困難であり、武装した市民と軍の協力によるゲリラ戦は、アメリカ軍にとって大きな脅威となるでしょう。さらに、カナダには約1270万丁の銃が民間に流通しており、先住民族も強力な抵抗勢力となる可能性があります。カナダへの侵攻はアメリカを数十年にわたる内戦状態に陥らせ、経済的・軍事的な疲弊を招き、最終的にはロシアや中国の台頭を許すことになると考えられています。これはカナダにとっても壊滅的な未来ですが、平和的な隣国関係の維持こそが最善の選択肢であると結論づけられています。
アメリカ・カナダ間の戦史
アメリカ合衆国(以下アメリカ)とカナダの間で直接「アメリカ vs. カナダ」として行われた本格的な戦争はありません。しかし、カナダがイギリスの植民地(イギリス領北アメリカ)であった時代には、アメリカ独立戦争や米英戦争などを通して、現在のアメリカとカナダの国境付近でさまざまな軍事衝突が起こっています。以下では、その歴史的背景を中心にまとめます。
1. アメリカ独立戦争(1775年~1783年)とカナダ
背景
13の植民地(後のアメリカ合衆国)がイギリス本国からの独立を目指し、1775年から軍事衝突が始まりました。
カナダ(イギリス領北アメリカ)への侵攻
独立戦争初期、アメリカ側はイギリスの重要拠点であったケベックなどカナダの領域を攻略しようとしました。1775年にリチャード・モントゴメリー将軍らがカナダ遠征を行い、モントリオールを一時占領するなどの戦果を上げましたが、その後ケベック包囲戦(1775~1776年)で敗退し、カナダ侵攻は失敗に終わりました。
結果・影響
アメリカのカナダ侵攻は成功しなかったため、カナダはイギリスの統治下に残りました。一方、アメリカは1783年のパリ条約で正式に独立を達成し、北米大陸の国境ラインが徐々に確定していく流れの中で、カナダとのあいだに政治的・経済的・軍事的な緊張関係がくすぶり続けることになります。
2. 米英戦争(1812年~1815年)とカナダ
原因
独立後もアメリカとイギリスの対立は続き、特にアメリカの船舶や水兵に対するイギリスの海上封鎖・拿捕(だほ)政策、さらにはイギリスがアメリカの西部・北西部開拓に干渉しているとの不満から、アメリカは1812年にイギリスに宣戦布告しました。
カナダ方面での戦闘
当時カナダはまだイギリスの植民地であったため、アメリカ軍はカナダに侵攻しようとしました。いくつかの戦闘が行われましたが、総じてアメリカ軍のカナダ侵攻は失敗に終わります。たとえば、1813年に起きたヨーク(現トロント)の占領ではアメリカ側が一時的に成功しましたが、結局は長期的な制圧には至りませんでした。
ワシントンD.C.焼き討ちと国境付近の攻防
戦争の後半、イギリス軍(カナダ方面からの援軍を含む)はアメリカ東海岸を攻撃し、1814年にはワシントンD.C.を焼き討ちしました。一方、五大湖周辺やナイアガラ方面では激しい戦闘が繰り返され、どちらが決定的な勝利を得るとも言えない膠着状態になりました。
結果と影響
最終的に1814年12月のガン条約(実際の発効は1815年)によって終結しましたが、領土の変更はほとんどなく、戦前とほぼ同じ国境線が維持されました。とはいえ、この戦争を通じてアメリカ・カナダ国境地域の確定が進み、両地域の住民間には敵愾心と不信感が残りました。一方で、カナダ側にとっては「アメリカの侵攻を退けた」という自尊心の原点となり、後のカナダのナショナリズムにつながったとされます。
3. その後の国境紛争と条約
オレゴン境界紛争(1840年代)
アメリカ合衆国が西部拡張(マニフェスト・デスティニー)を進めていた時期、現在のアメリカ北西部(ワシントン州・オレゴン州方面)とカナダ(ブリティッシュ・コロンビア)との間で境界線が曖昧でした。しかし、1846年のオレゴン条約で北緯49度線を国境とすることに合意し、大規模な軍事衝突には至りませんでした。
ウェブスター=アッシュバートン条約(1842年)
アメリカ北東部(メイン州)とカナダ(ニューブランズウィック州など)との境界を確定するために結ばれた条約です。この地域でも小規模な衝突(アローストック戦争と呼ばれることもある)が起こりましたが、大きな戦争には発展せず、外交交渉によって解決が図られました。
4. カナダ連邦成立後のアメリカとの関係
カナダ連邦の成立(1867年)
1867年にイギリス北アメリカ法(憲法)によって、オンタリオ、ケベック、ノバスコシア、ニューブランズウィックが合併し、自治領カナダとなりました。その後も領域を広げ、現在のカナダにつながる連邦国家として成長していきます。
アメリカとの平和的な関係へ
カナダが自治領となって以降、アメリカとの間で大規模な戦争は起こっていません。19世紀後半から20世紀初頭にかけて国境線の細部が協定によって整備され、両国の衝突は主に外交・経済交渉に移りました。
第一次世界大戦・第二次世界大戦では同盟国として共に戦い、北大西洋条約機構(NATO)など安全保障面でも緊密な協力関係を築いていくようになりました。
現在の国境と軍事協力
現代のアメリカとカナダの国境は世界最長の平和国境と言われています。国境警備の協力、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)などの安全保障協力を通じ、非常に緊密な同盟関係を維持しています。
海外の反応
最後に海外の反応を見てみよう。
- NATO拡大について専門家の意見を無視したのに、今さら聞くべき理由があるのか?
- イギリス人として、カナダを守るためなら迷わず戦う。
- 第二次世界大戦でのカナダの活躍を忘れてる人がいるみたいだな。彼らは本気だった。
- まさにプーチンが望んでることだな…。
- 煽りっぽいけど、カナダより先に国内の機関をどうにかしたほうがいいと思う。
- 誰もカナダ侵攻の話なんてしてないよな?redditでしか見かけない話だし、トランプの「51番目の州」発言を指してるんだろうけど。アメリカが本気でカナダに武力侵攻する可能性なんてほぼゼロだろ。これは経済交渉を有利にするための脅しに過ぎない気がする。
- カナダのニュースでもこの件を報じてるぞ。
グリーンランドについては「何があっても手に入れる」と議会で発言してたしな。個人的には「ほぼゼロ」なんて言われても安心できない。つい最近まで味方だと思ってた国がこんな話をするだけでも十分やばい。
- これは北アイルランド紛争の拡大版になるだろうな。みんなにとって最悪の結果になるし、アメリカも無傷では済まない。ゲリラ戦はどんな大国にとっても厄介な敵になる。- カナダ人として、国を併合や侵略されないことに関しては私たちはプロだと言える。やつらに平和はない。俺たちは永遠にぶっ壊し続けるし、森に潜んで先に見つけるのはこっちだ。森から出るのは爆破する時だけ。前回もそうだったし、今回も同じく散らばるだけさ。
- 北部の州はカナダ側につくことになりそうだな。
- それを「第三次世界大戦」って呼ぶのも変な感じだけど、まあ、そうだよな。
- イギリス連邦もNATOも黙ってないだろうな。
- 何十年もかかるような話じゃない。ホッケーやってるわけじゃないんだから。
reddit.com/r/nottheonion/comments/1j6y374/invading_canada_would_spark_guerrilla_fight/